直江兼続

直江兼続は、1560年に越後国南魚郡上田庄の坂戸城で生まれた。幼名は樋口与六
上杉謙信の養子・上杉景勝と共に、謙信の元で義の精神を学び育った。
上杉景勝家督相続に勝ち、上杉家を引き継ぐと御館の乱が起こり
名家直江家が滅ぶのを防ぐため、兼続が直江家を継ぐことになり
そこで直江兼続と名を称すことになる。

上杉景勝が越後から会津120万石へ移封されると、直江兼続は米沢を任せられる。
米沢では町づくりに多いに貢献し、米沢の礎を築いた。
長谷堂城合戦では、上杉家の総大将として指揮をまかされ2万の軍勢を率いて
山形を攻めるが、長谷堂城の固い守りで攻略ができず米沢へ全軍撤退。

上杉家は西軍に付いたため、関ヶ原後は会津120万石から米沢30万石に減封される。
天下は徳川家康の時代になると、上杉家は徳川家に尽くし上杉家は米沢が本拠地となった。