山形城

第11代当主・最上義光が増築した平城で、上杉家の重臣直江兼続が山形城を見て霞がかって見えなかったことから霞城と呼ばれるようになった。現在では霞城公(かじょう)園と呼ばれている。山形城の復元された東大手門は11億円で再建し完了した。

(以下引用 山形城 - Wikipedia
山形城(やまがたじょう)は、現在の山形県山形市霞城町(出羽国村山郡)に城址を残す城である。別名で霞城(かじょう)と呼ばれる。また、吉字城(三の丸城門の数が11、吉字の画数が11画であることを由来とする)とも呼ばれた。国指定史跡。