山形旅行

どうもです。山形旅行 - 観光、温泉、名所、宿泊の旅人でございやす。
主に山形の観光や旅行スポットを幅広く取り扱っています。いや〜最近暑くなってきましたね。
やまがたの名産といえばサクランボですが、収穫時の季節になってきました。
県外からのサクランボ狩り者が、ちらほらと見える頃ですかね。

山形旅行と言えば、歴史が多い所ですねかね。源氏物とか上杉や最上、天童織田藩など
歴史が多く眠っている旅行スポットだったりします。
最近は東北の地震で客足が減っているのかどうか知らないが、山形は深度4〜5度ちかく
あったようだが、特に地震による影響もないそうです。

山形は来年は大河ドラマ天地人で、米沢市あたりが混むのかな〜
何はともあれヤマガタへ気軽にいっらさい〜♪
旅人の山形観光旅行記などでも気軽にマッタリ記事を書いてまふ。
あ、あと山形旅行と言えば通称・玉コンと呼ばれる、玉こんにゃくもおいしいよ〜

直江兼続

直江兼続は、1560年に越後国南魚郡上田庄の坂戸城で生まれた。幼名は樋口与六
上杉謙信の養子・上杉景勝と共に、謙信の元で義の精神を学び育った。
上杉景勝家督相続に勝ち、上杉家を引き継ぐと御館の乱が起こり
名家直江家が滅ぶのを防ぐため、兼続が直江家を継ぐことになり
そこで直江兼続と名を称すことになる。

上杉景勝が越後から会津120万石へ移封されると、直江兼続は米沢を任せられる。
米沢では町づくりに多いに貢献し、米沢の礎を築いた。
長谷堂城合戦では、上杉家の総大将として指揮をまかされ2万の軍勢を率いて
山形を攻めるが、長谷堂城の固い守りで攻略ができず米沢へ全軍撤退。

上杉家は西軍に付いたため、関ヶ原後は会津120万石から米沢30万石に減封される。
天下は徳川家康の時代になると、上杉家は徳川家に尽くし上杉家は米沢が本拠地となった。

米沢城

米沢城は伊達家から蒲生へそして上杉家になり、今では上杉家の城下町となっている。上杉家の祖・上杉謙信は越後の領土に居たが、亡くなってから上杉景勝が当主なる。その後豊臣聖賢についた上杉家は会津120万石へと国替え命ぜられる。米沢は景勝の重臣直江兼続が居城したが、関ヶ原合戦で上杉家は西軍側につき山形城の城主の最上義光軍と闘ったため、徳川家康により会津120万石から米沢30万石へ減封される。直江兼続上杉景勝へ城を返すことになり、それ以降米沢藩は上杉家の藩になった。


(以下引用 山形城 - Wikipedia
米沢城(よねざわじょう)は、山形県米沢市丸の内(出羽国置賜郡)にある中世の平城跡。戦国時代後期には伊達氏の本拠地が置かれて伊達政宗生誕の城としても知られ、江戸時代には米沢藩の藩庁が置かれて上杉景勝上杉鷹山などの歴代藩主が居住した。

山形城

第11代当主・最上義光が増築した平城で、上杉家の重臣直江兼続が山形城を見て霞がかって見えなかったことから霞城と呼ばれるようになった。現在では霞城公(かじょう)園と呼ばれている。山形城の復元された東大手門は11億円で再建し完了した。

(以下引用 山形城 - Wikipedia
山形城(やまがたじょう)は、現在の山形県山形市霞城町(出羽国村山郡)に城址を残す城である。別名で霞城(かじょう)と呼ばれる。また、吉字城(三の丸城門の数が11、吉字の画数が11画であることを由来とする)とも呼ばれた。国指定史跡。